『ルソーの夢』

  幼稚園の一室からピアノの音が流れ出て、園児達の歌声が世界に満ちる。

 むすんで ひらいて 手をうって むすんで
 またひらいて 手をうって その手を上に

 幼稚園では定番の遊戯曲。歌詞に合わせて園児達が手を握って開き、叩いて握る。再び開いた手を、今度は下に、頭に、ひざに・・・。
 その時、園児達の叫び声が聞こえた。歌声が途切れ、私も鍵盤から手を離す。
「どうしたの?」
「せんせぇ、ダイちゃんとユウタくんがケンカぁ!」
 見ると、園児達の輪の中心で、二人の男の子がもつれ合いながら倒れている。
「こら、やめなさいっ!」
 思わず声を荒げると、他の園児達の間から泣き声が上がる。しまった、と思った時にはもう遅い。組で一番泣き虫な女の子は、この世の終わりとでも言うように泣き叫び、騒ぎに乗じて組一番のお調子者の男の子が教室内を走り回る。
 内心で溜息を吐きながら私は、床の上で取っ組み合っている二人の男の子たちを引き剥がしにかかった。上に跨っていたのは、小牧 雄太くんで、組一番の問題児だ。下敷きにされていたのは、山吹 正平くん。組で一番身体が大きいので、皆からはダイちゃん≠ニ呼ばれているが、誰よりも気が弱い。
「どうして喧嘩なんてしたの?」
 二人を並んで立たせ、視線を合わせて問いかける。今度は、他の園児達を怯えさせないよう、それでも喧嘩は悪い事なのだと伝わるよう口調に細心の注意を払う。
「ユウタくんがダイちゃんをぶった! あたし、みたもん!」
「本当? 雄太くん」
「ちがうもんっ。・・うてって、せんせぇがいうから、うっただけだもん」

 むすんで ひらいて 手をうって・・・

 要は、歌詞を逆手に取った屁理屈である。私は急に悲しくなった。
「雄太くんの手は、お友達を叩くためにあるんじゃないんだよ」
 私の悲しみが伝わったのか、雄太くんの目に涙が浮かぶ。きっと理由なんて解っていないだろうけど、悲しいという気持ちを持ってもらえればそれでいい。
逆に正平くんは、ずっと下を向いて黙ったままだった。

「ユウくんのアサガオが!」
 翌朝、園児達が登園してくる中で騒ぎが起きた。年長組が中庭で育てていた朝顔の鉢が並ぶ中、雄太くんの鉢だけが倒れて土が零れてしまっていたのだ。
傍にドッチボールの球が転がっていたので、昨日の自由時間に遊んでいた誰かが、ボールを当てた事に気付かず帰ってしまったのだろう。
「おまえがやったんだろう!」
 突然、その場にいた雄太くんが正平くんをど突いた。私が止める間もなく、正平くんが地面に尻餅をつく。
叱ろうとして、雄太のくんの表情にはっとした。彼は自分のした事にはっきりと傷ついた顔をしていた。
「ちがう、ぼくじゃない・・・」
 身体を動かすのが苦手が正平くん。それは、組の皆が知っている。泣き出した正平くんを宥めている内に、雄太くんは自分の朝顔と一緒にいなくなっていた。

 Pantomime ; Posement et detache(パントミム「落ち着いて、明瞭に」)を弾きながら、やっぱり似てないな、と思う。
『むすんでひらいて』の原曲と言われている曲で、作曲者は、フランスのジャン=ジャック・ルソー。幾年もの年月を経て、様々な国で様々な歌詞をつけられ変容してきた事が解る。
いつしか『ルソーの夢』と呼ばれるようになったが、まさかルソーも、遥か三百年も先の未来で、それも祖国から遠く離れた日本という国で、子供達の遊戯曲として歌われるなんて想像もしなかっただろう。
 私の夢は、ピアニストになることだった。ただでさえ厳しい狭き門である上、腱鞘炎に罹ったことが私の心を挫いた。そして、今に至る。まるで『ルソーの夢』のように。

 雄太くんは、一人で教室の自分の席に座っていた。机上に置かれた朝顔は、雄太くんの涙を吸い込んで一緒に泣いているようだった。雄太くんも本当は謝りたいのだ。
「雄太くんが、お花さん咲いてくださいって、心を込めてお世話すれば、お花さん、きっと元気に咲いてくれるよ」
「・・・ほ、ほほっ、ほんとう?」
 しゃくり上げながら、私に期待のまなざしを向ける。
「うん、本当。だから、雄太くんも、正平くんにちゃんと謝ろう」
 友達に心を開いて欲しかったら、自分から心を開く。花も友達も同じだ。

 それから数日後、雄太くんの朝顔は、他の園児たちのものに劣らず綺麗な花を咲かせた。その隣には、正平くん朝顔が並んで咲いている。
「まほう≠ンたいだねぇ! すごいねぇ」
 園児達の満面の笑みと共に、ルソーの夢が花開く。時代と共に進化してきた曲。それほどまでに愛された曲。私にも、その夢が見えるようだった。ルソーが作った曲のように、時代と共に進化する未来が。
 私が鍵盤を叩くと、流れ出る音に合わせて園児達の歌声が重なる。

 むすんで ひらいて 手をうって むすんで
 またひらいて 手をうって その手を・・・

 未来に!

-THE END-